ウルトラマン・アート展
茨城県近代美術館にて、2011年11/3から2012年1/15まで開催されていた、「ウルトラマン・アート! 時代と創造―ウルトラマン&ウルトラセブン」にて。
メトロン星人とこうして写真を撮れるコーナーもあり。しょーもないおばちゃんだが、リアルに観てた世代だ、許してくれ![]()
茨城県近代美術館にて、2011年11/3から2012年1/15まで開催されていた、「ウルトラマン・アート! 時代と創造―ウルトラマン&ウルトラセブン」にて。
メトロン星人とこうして写真を撮れるコーナーもあり。しょーもないおばちゃんだが、リアルに観てた世代だ、許してくれ![]()
署名プロジェクトの詳細
【東海第2原発の再稼働中止と廃炉を要請します】
今回の福島第一原発の大惨事は地震による「原発の安全神話」の崩壊でした。
東海第2原発も冷却機能の一部が破綻し、あわや福島第一原発と同じ運命をたどる一歩手前の状況でした。
原発は一たび事故が発生すると制御できないものである事が明確になりました。
安全に絶対はありません。
福島第一原発の事故は収束の見通しも立たず、事故の解析も出来ていません。また地震・津波に対する原発への根本的な安全対策も立てられておりません。過酷事故に対する国、電力会社の対策はこの地震国の日本にあっては無策と言わざるをえません。この状況での東海第2原発の再稼働は絶対に認められません。
使用済核燃料の処理方法も未解決のままで、次の世代に処理できぬ放射性物質を残したままでは無責任ではないでしょうか。
私たちは、地方を不幸にしてまでの経済発展は理性的にコントロールしなければならないと思います。これ以上、原発事故により放射性物質に汚染された大地を増やすわけにはいきません。
大事故が起これば茨城県だけにとどまらず、広く関東にも甚大な被害をもたらす東海第2原発の廃炉を求めます。
http://www.shomei.tv/project-1789.html
原発防災拡大案が示された。原発事故の避難圏を30キロに拡大するという。避難対象者は106万人、水戸も日立も全域が30キロ圏内に入る。東海第2原発以外の原子力研究施設もある。106万人の避難が可能か以前に、本当に避難させてもらえるのだろうか。日立の工場や原子力研究施設を無人にできるのだろうか。東海第2原発から東京までは100キロ超え程度である。
9/21の夕方から、台風15号の風雨が強くなってきた。水戸市内でも道路の冠水が起こっていたらしい。停電に備えてランタンやラジオの充電をしていた。6時過ぎから暴風圏内に入ったらしく、9時頃まで強い風雨の音が聞こえていた。やっと静かになってきたと思ったら、今度は地震。ズズズという地鳴りの後、揺れた。夜中にいつもと違う呼び出し音のエリアメールが来た。那珂川で氾濫危険水位を超えたので、避難指示を知らせるものだった。自宅は高台にあるのでこの地区は避難対象にはなっていないが、昭和61年の那珂川大水害の経験が頭をよぎった。あの時は、台風が去った翌日に被害が出て、朝起きたら停電していたのだ。これ以上の被害が出ない事を祈った。
震災直後は疲れ知らずだったのが、二か月を過ぎたあたりから、ひどくだるさを感じるようになってきた。とにかくしんどい。
水戸では震災で市役所も水道局も消防本部も被災した。市役所は今も使えない。消防本部は隣の歴史観駐車場にプレハブ建てて移った。知事公舎も無傷ではないらしく、大谷石の塀にはテープが巻かれ、屋根はブルーシ-トを被っている。大丈夫そうに見えていた建物でも、解体が始まった様子を見かけるようになった。津波に流された訳じゃないので、一見何事もなかったように見えているけど、じわじわときているなといった感じだ。
自宅でも余震が続くうち、一部床がきしむようになってしまった。床鳴り程度は仕方ないかと諦めていたが、いつの間にか気にならなくなっていた。その後も続く余震で矯正されたのか?
水戸の地震中継画像ですっかり全国デビューを果たした芸術館の水戸アートタワー。ネットでくねくねとか、ねじねじとか言われてますが。出来た当初は「あんな洒落たモノ水戸には似合わねー」等々ぶつぶつ言われてたものだが、いつの間にか馴染んでた。
2011年3/11 午前中。妹が仙台の大学に入学する甥と訪れた。前日、仙台で入学の手続きやアパートの手配を済ませてきたのだ。合格祝いを渡し、皆で甥の努力を労い、和やかな時間を過ごしていた。
そしてその午後、2時46分。私は自宅のリビングにいた。カタカタと弱い振動からそれは始まり、やがてゆらりゆらりとした横揺れになる。3/9にも同様の地震があったので、また遠くで大きな地震だなと暢気に構えていた。
ところが、振動は収まる気配を見せず、どんどん大きくなる。大きくテレビが揺れ、棚の書類が散乱した。パソコンの電源を落とそうとしたが、間に合わず停電。揺れは益々大きくなる。
テレビは転倒防止装置の為かか、揺れてはいるが持ちこたえ、冷蔵庫もとりあえず動いていない。倒れられたら一番掃除が厄介そうな、60センチの水槽を抑えにかかったが、そこでズドドドンと大きな揺れがきて、水槽の水があふれ出した。
声もなく信じられない光景を見ていた。この家、軽量鉄骨の耐震住宅だよ?それがこんな状態になるのか?茨城は普段から地震が多く、だから大きな地震は来ないと言われていた。初期微動の感じから、震源は遠いと思われた。それでこんなに揺れるなんて、では震源はどれだけ揺れたのだ?
長い長い揺れが収まり、まずは床に零れた水槽の水に古いバスタオルをざっと被せた。リビングの家具は食器棚等殆ど作り付けなので、ガラス類の破損はなく、散らばった軽い物をとりあえず脇に寄せて、通路を確保した。
すぐに他の部屋を見て回る。納戸や書斎は色々物が落ちていたが、他は作り付けのクローゼットの中の荷物が少し寄った程度で、それほど大きな被害はなかった。
一通り家の中を確認したところで、また少し大きな揺れがきて、同敷地内の親の家に向おうとした時だ。それまで曇っていたのに、西の窓からいきなり太陽が差し込んだのだ。禍々しいものを感じる程の強い日の光。嫌なものを感じながら、玄関を出た。
遠くに緊急車両のサイレンがいくつも聞こえてくる。親の家は築40年近い木造建築で、やはり無事ではすまなかった。瓦が落ち、壁のタイルが落ち、玄関にガラスが散乱していた。
大きな家具の転倒はなく、両親に幸い怪我はなかったので、ガラス類だけは片づけて貴重品を持って私の家への避難を促した。父が古いラジオを持ってきてくれて、茨城放送の情報が入り始めた。うちにはまともなラジオが無いので本当に助かった。
震源が岩手沖。では3/9の地震はこれの前震だったのか?これが1日前だったら、妹と甥は仙台で被災していたかも知れなかった。橋の崩落・通行止めの情報も次々と入ってくる。
市内の小中学校は集団下校との情報がラジオで流されていたので、親世帯の片付けを優先していたが、中学生の息子がなかなか帰宅しない。暗くなる前にと迎えに行こうとしたら、息子は一人で帰ってきた。
緊急時の保護者への一斉メールは流されていたようだが、それを受信できたのは2日後だった。停電でテレビもパソコンも使えず、情報源はラジオの茨城放送だけ。却ってその方が良かったのかもしれない。東北の惨状のリアル情報を見られる事もなく、自分達の目の前ににある事にだけ集中出来たのだから。
自宅の片付けをしていたら、充電器にセットされたままの夫の携帯電話が見つかった。夫は早朝より東京出張に行っているが、これでは安否確認さえ出来ない。本社か筑波工場まで戻っていてくれれば良いのだが、今夜は帰って来られないかもしれないと腹をくくった。
ライフラインは止まったままなので、夜に備えて準備を始めた。鳥インフルエンザ流行時対策で、籠城用備蓄を持っていた。懐中電灯と電池の在庫、ゲームのコントローラー内の電池も出された。幸い浴槽に水は張ってあったので、トイレもOK。水も食糧備蓄も用意済み。
まずはすぐ食べられるもの、バナナ・ゼリー飲料・レトルトおかゆ・お菓子類をテーブルに並べた。両親もさすがに疲れた様子なので、今夜は私達のベッドを使って休んでもらった。
余震が間断なく続いているし、どうせ今夜は眠れないだろう。リビングにマットや布団を敷いて、息子と一緒に夫の帰りを待つ事にした。父が釣りに使うというLEDライトが、暗闇の中ダイヤモンドのようにきらきらして綺麗だった。
午後10時頃、夫は無事に帰って来た。地震発生時には筑波工場にいて、5時退社になったらしい。帰路の陸橋には大きな段差が出来ていて応急処置に石が置かれ、それでなんとか通れたと言う。夫の携帯電話のワンセグでやっとNHKを見られるようになり、想像を絶する災害になっていたのを知る事となる。
自粛しているわけではないのだが、遠出をする気分になれない。一時期より減ったものの、変な余震が度々ある。原発の収束はまだまだ先が見えず、水戸の線量も思ったより下がらない。リーマンショック以来、無駄な買い物は控えるようにしてきたが、自分が死んだらガラクタにしかならなさそうなコレクターアイテムの類は全くストップした。正月太りで新しいボトムス買い換えなきゃと思っていたが、震災で痩せてその必要もなくなった。今手元にあるもので事足りるじゃない。たしかにこれでは景気は回復しそうにない![]()
震災以来閉園になっていた偕楽園が、梅林等の一部開園をした。南崖は地滑りが酷く、ブルーシートが張られ、立ち入り出来ないよう柵が設けられていた。
東門前の売店で、梅干し大福が販売されていた。梅干しの塩辛さと白餡の甘さがいい感じ
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最初の2週間で3キロ痩せた。正月太りのウエストすっきり。肉は2切れ程度食べただけで胃もたれするので、卵等でたんぱく質を摂るようにしている。疲れも出たのだろう、母も一時期体調を崩していた。余震が収まらないのはもちろんだが、1カ月も放射性物質垂れ流し状態の原発はいつになったら終息するのか。茨城は1999年の東海村JCO臨界事故の経験があり、あの事故もほどなく終息したので、こんなにかかる物だとは想像もしなかった。野菜に関しては、風評被害を吹き飛ばせと販促活動が行われているが、海はどうか。実害が出ているではないか。
こんな時でも、春は来る。すっかり水戸の地震映像で全国デビューとなった、芸術館のくねくねタワー
手前は千波湖。
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